なぜ印刷ではなく、彫刻するのか
昨今のカメラ用交換レンズには、距離リングに数字の表記がないものが見受けられます。これは、ピントを合わせたい対象までの距離を知る必要を感じないユーザー向けの製品に採用される仕様です。プロもしくはハイアマチュア向けの製品においては、距離リングに数字が記されています。それを観察してみれば、多くの場合シルク印刷という手法が採用されているのがわかると思います。部品の表面に載せられたインクは、長年の使用に耐えきれず印刷が剥がれてしまう恐れがあり、それを修繕する方法は部品全体の交換と同義でもあります。このようなモノづくりは、コシナの信条とは相容れないのです。
上の写真は、ハイエンド交換レンズの距離リングに無限遠のマークと距離を示す数字を彫刻している様子です。金属を削ることで、数字や記号を一定の深さの溝として加工します。
印刷と比較するなら、一文字一文字を刻印していく工程には時間もコストもかかります。中野ファクトリーにある年式は古いけれど良く整備された彫刻機は、今日もフル稼働で数字や記号、そしてブランドネームを金属部品に刻み込んでいます。こうして削った凹みの部分に塗料を流し込むことで、印刷とは次元の異なる耐久力を得ることができます。それこそが、シルク印刷ではなく彫刻機という道具を私たちが使い続けている理由なのです。
安上がりに早く作ることと引き替えに、手が触れているうちに剥がれ落ちてしまうリスクのあるシルク印刷。手間も時間もかかるけれど、表面的ではなく朽ちることのない強さをもつ彫刻仕上げ。愛着を持って接することのできるハイエンド光学製品に採用すべき方法がどちらであるかは、コシナ製品を支持してくださるお客様にはご理解いただけることと確信しています。こうして一文字一文字が彫刻された各種の部品はサンドブラストやメッキなどの表面加工を施されてから、“色入れ”と呼ばれる仕上げの工程に進むのです。