フォクトレンダーとは
フォクトレンダーは、カメラが発明される以前の18世紀から活躍していた光学機器メーカーです。オーストリアのウィーンに設立され、後にドイツに移転しました。1839年に世界最初のカメラがフランスで発売されると、その翌年には独自のカメラを完成させ、1841年から発売を開始しています。その後もカメラと写真用レンズの開発を続け、世界中の人々に長く親しまれてきました。
写真の歴史とともに歩んできた、まさしく世界で最古のカメラメーカーのひとつといえるでしょう。
●創業
フォクトレンダーは今から240年以上前の1756年に、当時の神聖ローマ帝国の中心地・ウィーンで事業を開始しました。指物の技術を持っていた創業者ヨハン・クリストフ・フォクトレンダーは、鉱山採鉱用のコンパスなどさまざまな製品を作っていたようです。
その息子ヨハン・フリートリッヒ・フォクトレンダーは光学を学んで二代目となり、1800年代からは眼鏡や測定機器などを製作し、大きな成功をおさめました。特にオペラグラスを開発したことはよく知られています。ヨーロッパ中に広まったこの製品はフォクトレンダーの独占商品となり、当時はオペラグラスのことをフォクトレンダーと呼んでいたようです。
●1841年、第1号カメラ発売
1840年には三代目当主の下、カメラ製品第1号である「肖像撮影用新ダゲレオタイプ装置」を完成させ、翌年から発売を開始しました。これは世界でも始めて数学的計算に基づいて開発された写真用レンズが装着されており、口径比が3.7という当時としては飛躍的に明るいものでした。ちなみに1839年に世界で初めて発売されたジルー・ダゲレオタイプカメラはレンズが大変暗く、当時の感光材では昼間の野外でも撮影に20分ほどを要したといわれます。フォクトレンダーの新しいカメラはこれを1分程度にまで短縮し、大好評を博しました。
レンズを開発したのはウィーン大学教授のペッツバールで、この構成のレンズはその後も「ペッツバール型レンズ」として長く生産されていくことになります。
またこのカメラは、シュタインハイルのカメラと並んで、世界で最初の総金属製カメラのひとつといわれています。砲弾のような形をしているために、今では「砲弾型カメラ」「総金属製カメラ」などの通称で呼ばれることも多いようです。
よく、フォクトレンダーのカメラの特長として、独創的なメカニズムと優秀なレンズがあげられますが、その本領はすでにこの第1号カメラから発揮されていたといっていいでしょう。
●コリネア、ヘリアの開発
その後もフォクトレンダーは、カメラと写真用レンズの新製品を次々と発売していきます。オペラグラスや双眼鏡、顕微鏡などの部門も成長を続けており、本拠地もウィーンからブラウンシュヴァイクへと移転します。1893年には写真用レンズのアナスティグマート化に成功し、コリネアという名前で発売されました。
2群6枚の対称型であるコリネアはフォクトレンダーのカメラの主力レンズとなり、後には広角タイプや製版用のアポクロマート・コリネアなど、多くのバリエーションが生まれています。
また1900年には、より明るく、収差の極めて少ない新アナスティグマート・レンズがハルティング博士の手によって完成し、これはヘリアという名前で発売されました。
●総合カメラメーカーへの道
1900年頃からドイツのカメラ業界は急速に近代化を果たします。フォクトレンダーもコリネアやヘリアをつけたハンドカメラやクラップカメラ、箱型一眼レフカメラ、ステレオカメラなどの新製品を次々と発売し、ヨーロッパ・アメリカをはじめ世界各国にも輸出されました。アルピン、ベルクハイルなどの名機がこの時代に誕生しています。
しかし、1914年から始まった第1次世界大戦が1918年に終わると、ドイツを戦争賠償とインフレの嵐が襲います。この混乱期に、ドイツのカメラ業界は苦境に陥り、新しい時代を生き抜くためのリストラクチャリングの動きが活発になります。多くのメーカーが他のメーカーとの提携を強め、それはやがて世界最大のカメラメーカー、ツァイス・イコンへの大合同にまで至るのですが、フォクトレンダーは他社との提携・合同の道は選びませんでした。財政的な危機を乗り切るため、1925年に化学工業会社の大手、シェリングに資本を仰ぎ、傘下に入ることになります。
これによってフォクトレンダーの経営体質は強化され、新しい一歩を踏み出すことになりました。それまで、双眼鏡や顕微鏡はもちろん、戦後を生き抜くために様々な精密部品や金属製品なども製造していたフォクトレンダーですが、この時点で製品ラインアップをカメラと写真用レンズに絞り、総合カメラメーカーとしての道を歩み始めるのです(ただし後には双眼鏡の生産などは再開します)。このときからフォクトレンダーは、カメラメーカーとしての黄金期を迎えていくといっていいでしょう。
●ベッサの誕生と、戦前の名機たち
こうしてフォクトレンダーは、1920年代後半から新しい製品を次々と発表していきます。
1926年には新レンズ・スコパーを発売。これは後にテッサータイプに改良され、フォクトレンダーの主力レンズのひとつとして長く生産されていくことになります。
カメラでは、1929年にスプリングカメラ(蛇腹を用いた自動起立式カメラ)のベッサが登場しました。これは、同年に誕生したツァイス・イコンのイコンタとともにロールフィルム用スプリングカメラのパイオニアとして時代を切り開き、戦後に至るまで多くのユーザーの支持を受けました。戦前におけるフォクトレンダーの最大のベストセラーカメラが、このベッサです。後には距離計のついたモデルを始め数々のバリエーションが発売されました。
戦後も改良型のベッサI、ベッサIIが発売されました。さらに後には35ミリ一眼レフのベッサマティックやベッサフレックス(プロトタイプのみ)などにもこの名前は用いられ、フォクトレンダーを代表するカメラ名として世界中の人々の記憶に刻まれました。
1930年代には、新たに高級スプリングカメラのペルケオ、ヴィルトゥス、プロミネント、二眼レフのスパーブやブリラント、コンパクトなスプリングカメラのベッサ66、35ミリカメラのヴィトーなどが新登場しています。これらは、そのメカニズムの緻密さと実写性能の高さで、フォクトレンダーの評価を確固たるものにしました。またハンドカメラのベルクハイルやアーヴス、ヴァーク、ステレオカメラのステレフレクトスコープなども継続して作られ、これらはアメリカ市場はじめ海外でも広い支持を受けていました。
第2次世界大戦の間は軍需品生産が中心となっていましたが、戦争による被害は少なかったようで、終戦後は西ドイツのメーカーとして活躍を再開します。
●戦後の新製品群
戦後間もない頃は、以前からの製品を継続して発売していたフォクトレンダーですが、新しいカメラとレンズの開発を着々と進めており、その成果は1950年に一挙に発表されました。
プロミネント、ヴィテッサ、ヴィトーII、ヴィトーIII、ベッサI、ベッサII、ペルケオI、ペルケオIIなどの新世代カメラが登場し、戦後のフォクトレンダーのあらたな基盤となりました。レンズでは、トロニエ博士の開発したウルトロン、ノクトン、カラー・スコパー、カラー・ヘリア、アポ・ラ
ンターなどが同時に発表され、これらを背景にフォクトレンダーは1950年代にさらなる急成長を遂げるのです。
50年代の終わりから60年代にかけては、コンパクトカメラのヴィトーBや、連動露出計内蔵のヴィトマティック、先駆的なストロボ内蔵カメラのヴィトローナ、一眼レフのベッサマティックやウルトラマティックなど多くのシリーズが発売されています。
これらは「なぜならレンズがとても良いから」という有名なキャッチフレーズとともに宣伝され、人々に親しまれていました。
●ツァイス・グループ企業としての道
フォクトレンダーの株式を所有していたシェリングは、戦後のドイツ分断の中で経営が不安定となっていたようで、1956年、カール・ツァイス財団にその株式を譲渡します。これ以降、フォクトレンダーはツァイス・グループの一企業となり、同じグループ内のカメラメーカー、ツァイス・イコンと徐々に共同歩調を強めていくことになります。
1965年には「ツァイス・イコン・フォクトレンダー」という名前の販売会社が作られ、この2社はブランドをひとつにしてカメラを販売するようになりました。日本製カメラが台頭する中で徐々に厳しくなりつつあったドイツのカメラ産業界にあって、生き残りをかけた行動だったようです。
これはさらに両者の合併へと発展し、1969年にフォクトレンダーはツァイス・イコンに吸収合併されるに至りました。
●ローライからプルスフォトへ
ところがこれらの努力も実らず、合併の翌々年にツァイス・イコンはカメラ事業からの撤退を発表しました。これにともない、フォクトレンダーの商標や生産設備などはフランケ&ハイデッケ(ローライ)にそっくり譲渡されることになり、1974年からはローライによる新しいフォクトレンダー・ブランドのカメラが発売されることとなりました。一眼レフのVSLシリーズや、VF101、VF135などのカメラはこの時代に作られたものです。このローライも、1981年にはいったん倒産し、再建の道を歩みます。その際にフォクトレンダーの経営は、ドイツの流通業者のプルスフォトに移りました。その後、プルスフォトによって数々のフォクトレンダー・ブランド製品が販売されながら、現在に至っています。
ベッサシリーズは、これらの歴史を踏まえた上で、フォクトレンダーに新たな生命を吹き込むため誕生したカメラなのです。
参考文献:「フォクトレンダー略史」竹田正一郎(『フォクトレンダー』オフィスヘリア刊より)
企画編集:『フォクトレンダー』著者 オフィスヘリア・佐々木果氏